高松宮妃喜久子殿下

父上は徳川慶久公爵、母上は有栖川宮家王女の実枝子様の次女としてお生まれになりました。御祖父は第15代将軍、徳川慶喜公で、お祖父様の慶喜公とお父様の慶久公から一字を取って「喜久子」と名付けられました。 昭和4年に女子学習院をご卒業され、翌年、高松宮宣仁親王殿下とご結婚されました。
ご結婚のわずか2ヵ月後、天皇陛下の御名代の高松宮殿下とご一緒に、欧米諸国を26カ国を1年2ヶ月かけてご訪問されました。
この大旅行はいくつかの本で紹介されています。 戦後の混乱がやや落ち着いた昭和28年、「戦争で多くの尊い命を失い、ようやく平和な世の中になったけれども、がんがある限り、がんで失われる命と家族の悲劇は終らない、どうしてもがんを撲滅したい」と女子学習院時代の同級生に呼びかけられ、妃殿下のお印の花、撫子からとった「なでしこ会」を立ち上げ、チャリティー活動を始められました。チャリティーの収益は財団法人癌研究会等に寄附され、やがて財団法人高松宮妃癌研究基金を設立、名誉総裁にご就任されました。

 
御祖父様と

妃殿下が、がん撲滅のために活動を始められたのは、昭和8年にお母様をがんで亡くされたときのつらく悲しいお気持ちからでした。
当財団の学術賞等贈呈式、国際シンポジウム開会式ではおことばを賜ってまいりましたが、平成4年11月開催の第23回国際シンポジウム開会式では、「私は最愛の方をがんで亡くされました多くの方々と悲しみを共にするものでございます。私も母を60年前にがんで喪い、そして近年には高松宮様、さらに昭和天皇ががんで崩御されました。しかしながら、私はこのように痛ましい病気、がんを克服する日がやがて来るであろうと希望をもっております」と述べられました。 妃殿下のがん研究に対するご支援は、国内のみならず、海外にも広く知られ、米国癌学会刊行『CANCER RESEARCH』誌でも紹介されました。 妃殿下は終生がんの撲滅を念願され、医療の発展や福祉、文化、国際親善など様々な分野にお力を尽くされました。 当財団は、妃殿下の尊いご遺志を継いで、「がん撲滅」を目指します。

 
(平成4年4月) 研究助成金贈呈式にて

 

高松宮妃殿下ご略歴

明治44年(1911年)12月26日 ご誕生
昭和4年(1929年) 女子学習院本科をご卒業
昭和5年(1930年)2月4日 高松宮宣仁親王殿下とご結婚
同年4月21日 天皇陛下の御名代(※)の高松宮殿下とご一緒に横浜港をご出帆
欧米諸国26カ国を1年2ヶ月にわたり訪問される
※イギリスでは国王ジョージ五世に天皇陛下よりの菊花大綬章を御贈進
 スペインでは国王アルフォンソ13世に菊花頸飾を御贈進

(昭和5年2月4日) ロンドンにて
昭和6年(1931年)6月11日 ご帰国
昭和8年(1933年) 母君をがんで亡くされる
昭和9年(1934年) 財団法人癌研究会にラジウムを寄附される
昭和28年(1953年) 同級生となでしこ会を設立され、様々なチャリティー活動を通じてがん研究の支援をされる
昭和43年(1968年)4月20日 財団法人高松宮妃癌研究基金設立
名誉総裁ご就任
平成4年(1992年)1月 米国癌学会刊行『CANCER RESEARCH』誌の表紙にお写真が掲載される







国際的な学問の推進を後援される方として掲載される。
記事は「世界の偉大なレディの一人」との一文で結ばれている。
平成16年(2004年)12月18日 薨去
平成23年(2011年)12月26日 ご生誕100周年